菓子より甘い
冷の月某日。
外は冷たい雨が降っていた。
この時期は一雨ごとに冬が近づくと言われている通り、制服だけではだいぶ肌寒く感じる。寮の部屋には暖房があるが、さすがに廊下までは暖かくはない。
夕食後の自由時間の間に、キングはトレイの部屋に足を運んだ。あまり遅い時間であると寮長や見回りの士官が目を光らせていて、見つかるとうるさいのだ。たとえアギト候補生といえども、寮では基本集団生活だ。作戦参加中や特別な任務の場合は仕方ないが、それでも普段は決まったスケジュールで毎日が終わる。
いつものようにトレイの部屋のドアをノックすると、奥から「はい」と小さいが、よく通る声がした。部屋にいたようだ。カチャリと鍵が外れる音がすると、ドアの隙間から外をうかがうようにトレイが顔を覗かせた。パジャマの上にカーディガンを羽織っている。
「おや、キング。あなたもですか」
「何のことだ」
トレイの言葉の意味がわからなくて、キングは聞き返した。不思議そうな顔をしているキングを部屋に入れながら、いえね、とトレイは言葉を続けた。
「今月末はハロウィンでしょう。その頃はちょうど朱雀軍による蒼龍への侵攻作戦が予定されていますから来るなら今週中にしなさい、と言っていたのですが」
「ハロウィン……」
そういえばそうだったかもしれない。特別娯楽の無い環境だったから、外局にいた頃は何かとイベントを見つけては騒いでいた。だが魔導院に来てからはすっかりご無沙汰だ。
定位置であるトレイのベッドの上に腰をかけて、トレイが戻るのを待つ。部屋は適度に暖かかった。トレイはといえば、部屋に設置されている簡易キッチンで湯を沸かす準備をしていた。魔晶石のはめられたコンロに薬缶を置くと、トレイはベッドのそばにやって来た。机に付属の椅子に腰かけて、キングに向き合うように座わった。
「ええ。私たちが小さい頃はマザーがパンプキンパイを焼いてくださったでしょう。みんなでお化けの仮装をしたり、「おかしをくれないといたずらするぞ」なんて言ったり。それで出入りしていた魔法局の方たちから飴を貰ったりしましたよね。覚えていませんか」
「あぁ、それで」
そういえば、この間教室でレムからおばけかぼちゃの形をしたクッキーを貰ったことを思い出した。可愛らしくリボンとフィルムでラッピングされたそれは、さすがは女子というべきものだった。そのことをトレイに伝えると、トレイも貰っていたようでくすりと笑った。
「部屋にはオーブンがありませんからね。リフレの台所を借りて、シンクやデュースも手伝って作ったようですよ。おそらくマザーの所にも持っていったのでしょう。もうすっかり0組の一員ですね、レムは」
シュンシュンとお湯が沸く音がするのと同時に、トレイは立ち上がった。
「もともとハロウィンは鴎史以前、古代オリエンスの自然崇拝が起源なのですが……今となっては子供たちがお菓子を貰えるいい口実のイベントとなりましたね。飾り付けも可愛らしいですし」
トレイの後をついていくと、トレイがキングに向かって軽く振り返った。
「カフェインレスのコーヒーと紅茶がありますが、どちらにしますか」
「コーヒーがいいな」
「わかりました」
コーヒー粉末とクリーミングパウダーを一匙ずつマグカップに入れて、沸いた湯を入れる。部屋中にコーヒーのいい香りが漂った。部屋で入れられるのはインスタントのコーヒーか、ティーバックの紅茶ぐらいだ。それでもトレイが入れてくれるというだけで美味く感じる。
キングにマグカップを渡すと、トレイは先にベッドに腰かけていたキングの隣に座った。さすがに男二人分の体重は、ぎしりとベッドを軋ませた。トレイはまだ熱いコーヒーにふぅ、と冷ますように息を吹きかけた。
「ジャックとナインは来ましたよ。シンク達は教室で。なので、私もいくつか菓子を準備していたのですが」
「歳なんてほとんど離れていないのに、お前が菓子を渡す側なのか」
いくら兄弟のように育ったといっても、歳がそう違うわけではない。だがトレイはくすりと鼻を鳴らして、年齢ではなくて役割ですよと笑った。
「今までだってそうだったでしょう。おそらく女子ではセブンやクイーンが渡す側でしょうね。でも今年はレムもいますから、単にハロウィンパーティーになっているかもしれませんね」
外局時代に食べたマザーのパンプキンパイは、スパイスが効いていて美味かった。あれだけ女子がいるのだ。一人くらいレシピを覚えている者がいてもおかしくないだろう。ほかにもパンプキンプディングやレムが焼いてくれたようなクッキーが、テーブルいっぱいに並んでいたのを思い出す。まだ食べてはいないが、クッキーの中にはおそらくかぼちゃが練りこんであるのに違いない。
「それで。あなたは言わないのですか」
「何を」
「トリック・オア・トリート」
「菓子もいらんし、悪戯もする気はない」
「おや、つまらない」
「つまらないって、お前な」
まだコーヒーが半分残っているマグカップをキングから取り上げて、トレイは自分のマグカップと共にサイドテーブルに置いた。
「悪戯してほしいのか」
キングが顔を寄せて聞くと、トレイはふふ、と含み笑いをもらすだけだ。
「さぁどうでしょう。では私から言いましょうか。トリック・オア・トリート?」
「何も持っていない」
キングには菓子を持ち歩く習慣などない。ズボンのポケットには飴玉一つ入っていなかった。
「では悪戯ですね」
「おい」
「大人しくなさい。……目を閉じて」
声の調子から、今の状況を楽しんでいる様子がわかる。キングはしぶしぶ目を閉じた。
ぎしり、とベッドが軋む。身体が少しだけトレイの側に沈んだ。おそらくベッドに片膝をついたのだろう。大人しく待っていると、くつくつとトレイが笑いだした。
「眉間に皺出ていますよ、キング」
「トレイ」
「はいはい。まだですからね」
間を開けて、トレイの顔が近づく気配がする。我慢して目を閉じていると、額にふわりとトレイの唇が触れる感触がした。離れるのを待ってから目を開くと、少しだけ恥ずかしそうにしているトレイと目が合う。
「……これだけか」
「ええ、そうですよ。他に何が御所望ですか」
察してくれと言わんばかりのトレイの態度に、今度はキングが笑う番だ。普段キスをするのも触れ合うのも、大概キングからだ。こうでもしないと自分からキス一つ出来やしないのだ、トレイは。
「いや、別に」
何も理由や口実をつけなくとも、キスぐらい好きな時に、好きなようにしてくれて構わないのに。これでもトレイにしてみれば、頑張った方か。
ふっとキングが笑うと、とたん態度を変えるトレイも面白い。
「言いたい事があるならはっきりと……うわっ」
トレイの腕を掴んで、キングは体重をかけてベッドに引き倒した。どさりとベッドの上に倒れこむ。さすがに男二人で寝るには部屋備え付けのベッドでは狭い。だが仕方ない。
「いきなり、何をするんですか」
「今夜は雨が降っていて寒いからな、一緒に寝よう。それから、さっきの続きをしよう」
「続きって……。明日は講義がありますし、それに制服に皺が」
「すぐに脱ぐ。それに、最後までしないから」
「そういうことではありません。あなた、ここに来る前にシャワーは」
「浴びた。もう黙れ」
キングはトレイの言おうとしていることを最後まで聞かず、遮る様に早口で答えた。最後まで聞いたところで、答えは同じだ。
「キング!」
止めるようにトレイは名前を呼ぶが、聞き入れるわけがない。それに、トレイの抵抗など口だけであるのを知っている。これ以上何か言い出す前に、キングはトレイの唇に自分の唇を押しつけた。
【終】
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