修羅の妄執 1
「クンミ様、クンミ様!」
振り返らずとも声で判った。皇国軍第四鋼室所属の技術大尉イネス・ベルファーレである。両脇は垂らし、長い髪を後ろで髪留めでまとめていた。細いフレームの眼鏡が彼女の神経質さをより際立たせている。長い白衣を翻らせながら、後ろから追いかけてくる様子に、ルシ・クンミは足をとめた。
「なんだ」
「次の作戦で、アルテマ弾をお使いになるということは本当ですか」
「ちっ、口の軽い奴らだな。で、それが?」
作戦名『北の夜明け』の事だろう。まだ皇国軍上層部しか知らないはずだった。ペリシティリウム玄武上空より大陸破壊兵器『アルテマ弾』を投下する。それは先の作戦である魔導院攻略作戦が失敗したために、急遽組まれた作戦だった。『アルテマ弾』は白虎クリスタルからの魔導エネルギーを凝縮させて造りあげた爆弾だ。概算だがペリシティリウム玄武を破壊するに十分なだけの熱量がある。実行すれば莫大な破壊力によって、投下した者もろとも爆発に巻き込まれて死ぬことになるだろう。現在アルテマ弾の存在を知っているのは開発関係者と、軍の上層部、それも一部のものにすぎない。アルテマ弾の威力の恐ろしさは、それに少しでも携わっているものであれば誰もが知っているような代物だった。
国を一つ滅ぼす。
それがどの様な事態を引き起こすのか、まるで予想が出来ない。しかし玄武クリスタルを得るためならば必ず実行に移さなければならない。それが、我らが元帥閣下の望みであるならば、なおさらだ。
「アルテマ弾を使うことは本当だ。だがお前みたいな下っ端が文句言っても何も変わらないぞ」
「そうではなくて」
はぁ、と一度呼吸を整えると、イネスはクンミを見据えて言った。
「どうしてあなたが、クンミ様が行かなければならないのですか」
「イネス」
「誰かが行わなければならないことは、私にだってわかります。でもどうしてクンミ様が行かなければならないんですか。クンミ様は白虎のルシであられます。白虎クリスタルの力は魔導エネルギーを使って、機械を動かすことでしょう。クンミ様のルシとしてのお力は『機械の力を増幅させ、特異な力を呼び起こす』ものであると聞きました。朱雀との戦いがこれから激しくなるというのに、今ここでクンミ様の力を失うわけにはいかないんです。私たちには、皇国にはあなたの力が必要なんです!」
あぁ、この娘は私がアルテマ弾を運んだら死ぬということを知っているのか。
イネスの必死の形相に、クンミは静かに問いかけた。
「なぁ、イネス。この間の作戦でダーインスレイブに私が乗ったのは、どうしてだと思う」
「それは……」
クンミはクリスタルジャマーの開発主任だった。ダーインスレイブはクリスタルジャマーの試作機を搭載し、戦場に初めて投入された機体だ。通常、技術者が機体に乗ることはほとんどない。熟練したパイロットに試乗してもらい、パイロットの経験から導き出される改良すべき点や、欠点をピックアップし、その都度微調整していくのが仕事だ。技術者が死んだら元も子もない。
だがクンミは違った。先の魔導院攻略作戦においてダーインスレイブを制御していたのはクンミ本人だった。それはルシであるクンミにしか制御できない代物だった、ということだ。そしておそらく、次のアルテマ弾もそうなのだろう。
ルシ・クンミでなければ制御できない。
そんな不安定なものに縋らなければ勝てない戦など、一体何になるだろう。それとも、そうでもしなければならないほど切迫している、ということなのだろうか。
黙り込むイネスにクンミは苦笑した。
「イネスは賢いな。お前だって、判っているんだろう。この戦争の中で、誰かがやらなければいけないことだって。そしてその誰かは『私』だったってだけだよ。皇国の未来の礎になることができる。光栄なことじゃないか」
クンミの態度にどこか諦観めいたものをイネスは感じた。
「クンミ様。それが、クリスタルの意思なのですか」
ルシはクリスタルの意思で行動すると聞く。ならばこの選択はクリスタルの意思によるものなのだろうか。そうだというなら、まだ納得が出来た。
「違う。これは私の、意思だ」
「クンミ様!」
「イネス、お前は世話好きだからな。良い母親になるだろうさ。さっさとここから出て、結婚して、子供でも作るといい」
「そんなこと、言わないでください」
震える声でイネスはクンミに手を伸ばした。だが震える足はそこから動くことはなかった。
「じゃあな」
クンミはイネスを一人廊下に取り残し、カツカツと軍靴を鳴らして廊下を進んでいった。
* * *
イネスはクンミがルシになる前からクンミを知っていた。イネスの知っている『クンミ・トゥルーエ』はシドに才能を見出され、クリスタルジャマーや魔導アーマーの強化を担当する研究者だった。皇国軍では女の士官は珍しい。イネスも開発者として鋼室に配属になった時は心細く感じたが、先にクンミがいてくれたことに安心をおぼえた。大学を卒業したてでシド元帥直属の機関である第四鋼室に入室したイネスを、女だてらにとバカにされることも多かったが、クンミはよく庇ってくれた。口は悪いが、面倒みはいい女だった。
今でもあの時の事をイネスはよく覚えていた。
「イネス、お前本当にこれが実現できると思っているのか」
「理屈ばかりの小娘に、理論だけで構造組まれちゃあたまらないぜ。何人パイロット殺す気だ」
「殺すなんて、私はそんなつもりありません」
殺すだなんて、とんでもない。これは生かすための兵器だ。兵士を、ひいてはミリテス皇国を生かすための。
技術士官の男が見ているのは、イネスが提出した新型兵器ヴァジュラの草案にすぎない。クンミに一度見てもらい、もう一度問題点を洗いなおすつもりだった。両脇を男に囲まれ逃げることもできずに、イネスはぎゅうと資料ファイルを握りしめていた。その様子を黙って見ていたクンミが、ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。ばさりと白衣が翻り、迷わずにイネスの前まで大股で歩いて来る。
「最悪! さっきから聞いていれば、お前らのはただの嫉妬だ。イネスの案が採用されたから。それはイネスが優秀だったから採用されたんだ。男とか、女とか関係ない。悔しかったら、こいつの報告書読んでから文句言えよ」
実質上第四鋼室室長のクンミに怒鳴られ、返す言葉がない男たちは舌打ちをして開発室を出て行った。おそらくクンミの事も気に入らないのだろう。男たちが自動ドアの先に消えていったのを確認すると、クンミはフンッと鼻を鳴らした。
「クンミさん、ありがとうございました」
「勘違いするな。お前が女だから庇ったわけじゃない。あいつら、能力もないのに人をけなす事だけは一人前なんだからな。お前の案、面白いぞ。期待している。しっかりやれよ」
「は、はい!」
それ以外にも、夜を徹してクンミと議論を戦わせたこともある。プログラムが上手くいかない場所に、何時間も付き合ってくれたこともある。辛く、大変だった事も多いが、その分達成感もあった。それはクンミがいてくれたからだ。クンミとともに仕事が出来てイネスは楽しかったのだ。シド元帥に対する姿勢や、仕事に対して実力主義であるところも尊敬していた。クンミに対して、思慕に似た思いさえ感じていたのかもしれない。
イネスにとってクンミは『皇国の乙型ルシ ルシ・クンミ』ではなく、『クンミ・トゥルーエ』という一人の上官であり女だった。
* * *
「クンミ様……、クンミ様……っ」
クンミのいなくなった廊下で、白衣の裾が汚れるのも気にせずに、イネスはへたりと座りこんだ。
無理にでも引きとめればよかった。どうせ、私の言葉など聞いてはくれないだろうけれど。クンミにはルシとして皇国に必要な力だと言ったが、そうではない。本当は、私に必要な人だったのだ。まだあなたに学ぶべきものはたくさんある。もっと傍にいたかった。たとえ人間よりも強靭な肉体を持つルシといえども、アルテマ弾の爆発に巻き込まれたら無事では済まない事ぐらい、開発側の人間であるクンミ自身が一番よく知っていたはずだ。
わからなかった。クンミの考えている事が、何も。
クンミが見ているものが見たいと思った。クンミはここにはいない誰かの事を考えてものを言っているようなことが、度々あった。それはクンミの想い人なのか、もっと別の存在なのか、わからなかったが。クンミが見ているものがわかれば、少しぐらい彼女に近づけるのではないか。
そういえば、いつからクンミは開発者の象徴である白衣を着なくなったのだろう。いつからクンミの考えていることがわからなくなったのだろう。そうだ。ルシになったときからだ。あれから、運命の歯車が変わってしまったのかもしれない。
「クンミ様……」
伸ばされたイネスの手は何も掴むことなく、冷えた床の上に下ろされた。
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