トレイ/シンク
名作絵本「どんなにきみがすきだかあててごらん」のトレシンパロです。
どうしてもトレシンで読みたかったんだ。
【HARU新刊】『おかしのしろ、まわたのおり』P20/A5/コピー/トレシンSS三本の中から掲載。
おかしのしろ
岩の月も半月ほど過ぎたある日のことである。暦の上では春ではあるが、夜になればまだ肌寒い日が続いていた。魔導院自体、大陸から桟橋でつながれた、島の上に作られている。海は背に面しているとはいえ、風は強い。夜になれば、尚更だ。
場所は魔導院の中にあるテラスである。夕食や訓練を終えた候補生や訓練生たちが、憩いのためにやってくる。まだ寮の門限まで一時間もある。一日通してカップルが目立つ場所ではあるが、とりわけ今の時間帯は多い。そんなカップルのうちの一組に、トレイとシンクもいた。
「わぁ、やっぱり寒いねぇ」
「あまり長居をすると、風邪をひきそうですね」
魔方陣を抜けて階段を数段上ると、そこはもうテラスだ。外に張り出すように作られており、石造りのそれは、豪華な細工彫りが施されている。日常的に使っているから気にもしないが、魔導院自体歴史的にも建築的にも価値のあるものなのだろう。
運よく空いていたベンチにトレイとシンクは並んで座った。やはり座面は冷えている。びょう、と足元から海の湿り気を含んだ風が吹き上げる。雲の少ない晴れた夜空だったが、どことなくぼんやりとしているのは春だからだろうか。街も遠い。光は魔導院から漏れる微かなものだけで、テラスから見える海はただただ黒いばかりだ。あとは頭上に満天の星が広がるばかりだが、シンク相手にそうロマンチックな気持ちにもならない。それよりも身体の冷えの方が気になった。先ほどまでリフレで食事をして身体も温まっていたはずだが、このままテラスにいたらすぐに冷えきってしまいそうだ。ここには上着もブランケットもない。冗談抜きで風邪をひいてしまうな、とトレイは思った。
「シンクねー、テラス好きなんだぁ。おとぎ話に出てくるお城みたいでしょー?ほら、こことかさぁ」
シンクはテラスの手すりに掘られている細工を指さした。なるほどそう見えなくもない。ならばシンクはそのお城に住むお姫様か。思い浮かべるだけで噴き出しそうだ。見目だけならともかく、シンクは0組一番といってもいいほども怪力だし、性格も可愛いだけではないことをトレイはよく知っていた。しかし、シンクの世間ずれしている考え方やしぐさなどはたしかに庇護欲をかき立てられた。ならばお姫様といえなくもないか、などとトレイは一人ごちた。
「トレイ一人で笑ってる~。変なの~」
「ああ、いえ、すみません」
「トレイはわたしのこと、好き~?」
「何ですか急に」
下から覗きこまれるようにして、シンクはトレイを見つめた。床に着くぎりぎりのところを、トレードマークである長いおさげ髪がぶらりと揺れた。
「シンクちゃんのこと好きかって聞いてるの」
「ええ、もちろん。好きですよ」
「どれくらい好き?」
「どれくらいって」
まるで子供の駄々だ。付き合っていられない。人間の感情など、そうそう簡単に数値や物量で表せるようなものではないのだ。トレイは精神分析医でも心理学者でもない。ましてや相手はシンクである。家族としてなのか、それとも友人としてなのか。はたまた『女』としてなのか。いくら『0組の候補生』といってもトレイとて年頃である。家族同然に暮らしてはきたものの、0組の女子を性的な目で見たことがないと言えば嘘になる。言い訳になるかもしれないが、0組の男子ならば全員そうだと思うし、実際女にするなら誰にする、という下世話な話が話題になることだって、一度や二度ではなかった。
「じゃあわたしがトレイのこと、どれくらい好きか当ててみて」
「シンク」
諌めるように名前を呼んでも、シンクは笑うばかりだ。
「わたしはねー。トレイのこと、これくらい、好きだよ」
シンクはこれくらい、と両腕を広げた。トレイは「あぁ、そういうことか」と納得してシンクと同じように両腕を広げた。
「では、私はこれくらい」
「むむっ」
トレイの方が身長がある分、トレイが腕を伸ばした方がシンクが腕を伸ばした長さより、当然だがずっと長かった。シンクは少し考えてから、ベンチから立ち上がった。
「じゃあねぇ~、シンクちゃんのメイスが届くくらい!」
ぐるん、と長いおさげ髪が宙を舞った。シンクがその場でメイスを握るしぐさをした。
「では、私の弓矢が届くくらい」
「ぐぐっ」
トレイは任務の時も後方担当だけあって、中距離遠距離攻撃もお手の物だった。0組で一番遠くまで攻撃できるのではなかったか。シンクは唸りながら、ベンチに戻り、トレイの隣に座った。これは簡単な言葉遊びだ。だんだん楽しくなってきたトレイは次にシンクが何を言い出すのか楽しみになってきていた。次の言葉を待ちながら、シンクの揺れる頭を見つめた。
「えーっと、そしたらねぇ、アクヴィまで行くくらい」
「では、その先のコルシに行くくらい」
コルシは魔導院のあるルブルム領の中で、一番遠いところにある街だった。日常生活の範囲で一番遠くにある街ならば、コルシだろう。
「あーん!トレイに敵うはずないじゃん!やめてよぉー」
もう!と怒ったようにシンクは頬を膨らませた。トレイはぽんぽん、とあやす様にシンクの頭を軽く叩いた。
「はいはい、すみません。でも、シンクが私のことを好きだと思ってくれているのがわかったので、嬉しかったですよ。だから怒らないでください」
「んー。許してあげる。だってトレイもシンクちゃんのことが好きな事、わかっちゃったからねぇ~。えへへ、うれしいな~」
「えっ」
シンクは行儀悪くベンチの上に膝をついて、両手も揃えて背を反らせ、トレイに顔を近づけた。まるで猫だ。くるくるとシンクの大きな瞳がトレイを覗き込んだ。
「だってトレイ、全部わたしが言ったのより、大きかったり遠かったりしたもんね。これって両想い?」
「そ、それは言葉遊びだからっ」
「えぇ~、トレイはシンクちゃんのこと嫌いなの~?」
慌てて否定しようにも、シンクに悲しそうな顔をされると面と向かって否定など出来るはずもない。
「そうは言ってないでしょう」
「じゃあ、やっぱり好きなんだぁ~!」
「シ、シンク!」
たまらずにシンクの名前をトレイは叫んだ。
熱い。顔が火照る。きっと今の自分は赤い顔をしているに違いない。今が夜でよかった。シンクに見られたなら、もっとからかわれただろう。
まったく、妹相手にからかわれるなんて。
あれ、シンクが、妹……?
そういえばシンクのことを家族、妹としては見ていたけれど、それ以外の目線で見たことはなかったかもしれない。トレイは初めて会う人のように、シンクの顔をまじまじと見た。だいたい、両想いとは何のことだろう。それは男女の間にある関係性であって、家族や兄弟の間にある関係性ではないはずだ。
「何か眠くなっちゃったなぁ……ふにゃー」
「こんなところで寝たら、風邪引きますよ」
遠慮なく寄りかかってくるシンクの肩をトレイは抱きしめた。案の定冷えている。だが、不思議と寒くはなかった。
「ふー、んふふふ……」
「何です、気持ち悪い」
「トレイあったかい~」
「……もうしばらくしたら、部屋に戻りましょうね」
寮までは魔導院の中にある魔方陣で行くことができるから、距離はさほど考えなくてもいい。問題は時間だ。テラスの人影もだんだんとまばらになってきた。明日も今日と同じように厳しい訓練が予定されている。座学の予習も必要だろう。シンクは教科書など開かないかもしれないが。
いい加減部屋に戻った方がいいことは分かっているが、もう少しだけ火照った頬を夜の冷気で冷やしておきたかった。この熱を、自分の部屋に持ち込みたくなかった。
「ねー、トレイ。さっきの話の続き。わたしね、お月さままで届くくらい、トレイのこと好きだよ」
「それは……ずいぶんと、遠くですね」
「でしょー」
うふふ、とシンクは笑う。やっとトレイに勝ったとでも思っているのかもしれない。
見上げれば、ちょうど月が海の上に出ていた。海面にはゆらりゆらりと月影が浮かんでいた。春の夜特有の、薄ぼんやりとした月は、どんなに手を伸ばしても掴めそうになかった。
「本当に、遠い……」
シンクの返事はなかった。もしかしたら眠ってしまったのかもしれない。あたりを見回せば、テラスに残っているのはトレイとシンクだけだった。しんとして、遠くで波の音が聞こえるだけだった。
シンクのことは好きだ。それこそ小さな子どものころから一緒にいる。ずっと一緒だった。だけれどその『好き』とシンクがぶつけてきた『好き』の意味合いは、はたして同じものなのかどうか。シンクのことはずっと妹のように愛し、可愛がってきたつもりだ。だから、あえて自分から今まで築きあげてきたこの関係を壊したくない。でもシンクが壊したいというのなら、きっと自分は抵抗しないだろう。抵抗なんて、できるはずがない。
好きという気持ちに嘘偽りはないが、その好きという言葉に込める意味合いの正体を、トレイはまだ明らかにしたくはなかった。まだ答えを出したくはなかった。本当は知っていたけれど、言葉にして意味付けしてしまうことが、怖かった。
「そうですね……」
トレイはシンクを抱えなおすと、シンクの額にそっとキスを落とした。触れるか触れない程度の、ほんのささやかなキスを。そしてシンクの耳元にそっと唇を寄せた。
「……シンク。私は、お月さままで行って、かえってくるくらい、あなたのことが好きですよ」
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