修羅の妄執 2
「カトル! カトル・バシュタールはいるか!」
ノックもせずにバン、と大きな音を立ててカトルの執務室の扉を開けたのはイネス・ベルファーレという女技術士官だった。カトルは、いた。部屋の最奥の机に陣取り、部下からの報告を受けていたのだ。報告書を読みあげていた部下、フェイス・アイスラー大佐がイネスに気付いて睨みつけた。
「イネス・ベルファーレ大尉! 許可もなく准将の執務室に入るなどと」
「うるさいっ! 黙れ!!」
フェイスの制止を振り切り、イネスは血相を変えてずかずかと部屋の中に入ってきた。だがカトルはそんな女の姿を確認しているものの、報告書から一瞬ちらりと視線を向けただけだった。それがさらに女の癪に障ったのだろう。今にも噛みつきそうな勢いでイネスは口を開いた。
「クンミ様が戻ってこない!」
ダン!
静かな執務室に机を叩く音が響いた。
「イネス・ベルファーレ大尉! 早急に執務室から出て行きたまえ。これは命令です。いい加減にしないと命令不服従で、軍法会議にかけますよ」
「かけられるものならかけてみればいい! 私以上にヴァジュラを操る事が出来るパイロットがいるのなら、謹慎でも処罰でも何でもすればいいだろう」
ぐっと息を詰めてフェイスは押し黙った。開発責任者兼操縦者であるイネス以上に新型兵器であるヴァジュラを操れるものなど、いない。
魔導アーマーと比べてヴァジュラは規格外の大きさを持つ。建物の側面を走ることが出来る高度な機動性、またエネルギーがなくなれば作戦中であっても充電し再び前線に出ることが出来た。魔導アーマーはそもそも長期戦を想定していない作りになっているため、作戦中のエネルギーの補給は出来ない。ヴァジュラ本体に装備された長い尻尾のようなミサイル発射装置があり、機体のバランスも崩しやすい。だが魔導アーマーよりもはるかに高い火力を持つこの兵器は空こそ飛べないものの、白虎の強力な機動兵器の一つとして各師団に配備が決まっていた。だがそれを乗りこなす操縦者は不足しているのが現実だ。
「クンミ様は死んだ! 何故だ!」
クンミ様―――白虎の乙型ルシ・クンミの事である。クンミは先の作戦『北の夜明け』にて、ペリシティリウム玄武に大陸破壊兵器アルテマ弾を投下する任務を受けていた。作戦は無事成功。これにより北の大地に広がっていた「ロリカ同盟」は歴史から姿を消した。ルシの死という大きな損害を代償にして。通常ならば、死ねば人の記憶から死んだ者の記憶は消える。それはオリエンス全土に共通する『クリスタルの加護』だった。だがクンミはルシだった。ルシに対する記憶は人々の記憶から消えることはない。だから本当のところはクンミが生きているかどうかは、解らなかった。ただ、アルテマ弾の爆発に巻き込まれ、白虎の輸送機は跡形もなく消し飛んだ。輸送機に乗り込んでいた白虎兵たちは記録のみの存在になった。クンミの死体は見つかっていないが、見つけることがまず難しいだろう。ならば、クンミもアルテマ弾の爆発に巻き込まれ死んだ、と思うことが妥当だろう。そもそもこの『北の夜明け』では、生還することは初めから考えられていなかった。『作戦行動中行方不明』という扱いではあったが、クンミを知る誰もが戦死したと思っていた。
何故死んだ。
それはこの作戦を知るものならば、誰もが理解していることだ。もちろん執務室で叫ぶイネスも知っている。ならばイネスが聞いていることはクンミが死んだ理由ではないはずだ。
「イネス」
隻眼の冷えた視線をイネスに向けて、ようやくカトルは口を開いた。
「作戦は成功したが、残念な結果ともなったことは事実だ。惜しい人間を失ったと私も思っている。しかし、これはシド・オールスタイン元帥閣下直々の命である。ルシ・クンミも納得して受け入れた事だ。新たな白虎のルシがいつまた現れるかは分からないが……」
カトルがすべてを言い終える前に、イネスは動いた。
パンッ。
乾いた音が執務室に響く。イネスがカトルの頬を打ったのだ。
「イネス! 貴様!」
「よせ」
普段温厚なフェイスが声を荒げたが、制したのは頬を打たれたはずのカトルだった。
「次の作戦、失敗は許されない。あいつらには死んで詫びを入れてもらう。カトル・バシュタール! 必ず、白虎が勝利すると誓え。今ここで!」
それがせめてものクンミへの手向けである、という決意がイネスの眼鏡越しの瞳から伝わってきた。
「わかった、誓おう」
静かにカトルが答えるとイネスは気がすんだのか、踵を返して執務室を出ていった。嵐のようにやってきて、来た時と同じように出て行ったイネスの姿に、執務室にいたフェイスと下士官は声も出なかった。
「カトル様。イネスの処遇、どうなさいますか」
「錯乱状態の女に何を言っても無駄だろう。安定剤でも処方してやれ」
は、と短く答えると下士官は執務室を出て行った。おそらくイネスを医務室に連れていく気だろう。そんなことをすれば、またイネスに怒鳴られるだろうことは目に見えていたが。
「……カトル様。どうしてイネスの手を避けなかったのですか」
納得できない、というように眉を寄せてフェイスはカトルに問うた。
「女に手など上げられるか。だが、これで気合も入ったな」
ふ、と笑うカトルは、貴族出ではあったが武人の顔をしていた。その表情に見惚れるように、フェイスは目を見開いた。
「ルシ・クンミか……」
イネスの怒りも分からなくはない。朱雀首都制圧、魔導院攻略作戦という大規模な作戦がことごとく失敗し、その結果ルシを失うことになったのだから。将校であるカトルも確かに責任者のひとりである。イネスの怒りの矛先がカトルに向かったのも、間接的ではあるが、わかる。魔導アーマーの開発からルシになる前のクンミやイネスともかかわりが多かったために、気安さも手伝ったのだとは思うが。感情に流されなければイネスは本当に優秀な技術者であることは、カトル自身が一番よく知っていた。カトル専用機である魔導アーマー『ガブリエル』の整備や強化も、イネスとイネスの監督している整備チームに一任していた。
誰もが怒りを抱え、朱雀に対する復讐の気持ちを持っているのだ。近しいものを喪ったのならば、その想いはなおさらだ。相手がルシだった為に、人々の記憶からクンミの思い出は消えない。この時ばかりはクリスタルの加護が無い事を呪ったが、その復讐心が力になることもまた事実だ。イネスが普段羽織っている白衣ではなく、魔導アーマーに乗る際のスーツでこの執務室に来たことが何よりの決意の証だろう。
ミリテス皇国のために。オールスタイン元帥閣下のために。けしてクリスタルのためでなく。人の手による、人の治世を行うために。甘美な理想論ではあるが、大義名分として十分だ。
「女に発破をかけられるようでは、情けないな。―――フェイス、いくぞ」
カトルは資料をタンと音を立てて揃え、椅子から立ち上がった。
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