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身体的欲求が最初の身振りを引き出し、情念が最初の声を引き出した。情念は人と人を引き付ける。最初の声を引き出させるのは、飢えでも、乾きでもなく、愛であり、憎しみであり、憐れみ。レヴィ=ストロースより引用
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2024/05/19 (Sun)
気持ちK3ですがあからさまなBL/カップリング要素ありません。
6億のうち一回くらいこんな話があってもいいかな…。
自己満足俺設定暴走気味。

冬コミにて完売しましたので、全文掲載いたしました。
御手に取ってくださった皆様、ありがとうございました。
Arrow of Judgment
 
 
 
 朱雀魔導院・軍令部第二作戦課
「トレイ」
 背後から急に名を呼ばれて振り向くと、見慣れた男が立っていた。
「キング」
「何をしている」
 世界地図が映された大型液晶パネルをトレイはじっと見つめていた。キングが近付いてきていたのも気づかなかったとは、候補生失格だ。
「いえ、ちょっとした情報収集です」
「ふうん?」
 朱雀魔導院に置かれた軍令部第二作戦課は、急遽設置された部署である。原則として、アギト候補生は軍事行動に参加しない。だが皇国による魔導院侵攻作戦を契機に候補生は戦力として動員され、魔導院が解放された後も軍令部の管理下に置かれることになった。元々軍令部は、朱雀の宝でもあるアギト候補生を戦闘から守るべく存在していた。だが戦局が変わり、国家存亡の危機であるとして継続して候補生を戦力として動員することが決まると、朱雀魔導院に置かれていた軍令部が全朱雀軍、候補生の統括、つまり参謀本部として機能することになった。それが軍令部第二作戦課である。
 軍令部第二作戦課では会議中でなければ軍人、候補生であれば階級はどうであれ自由に入室することが出来た。正面に朱雀を中心とした世界地図が表示された大型液晶パネルが設置され、部屋の中央テーブルにも同様に液晶パネルが設置されており、現在展開している作戦が表示されていた。世界地図の朱く染められている場所が朱雀の領土である。
トレイは暇を見つけては、この軍令部第二作戦課に足を運んでいた。ここに来れば現在得ている情報や作戦の進行具合など、一目でわかるからだ。ときおり0組への任務の依頼を受けることもあった。クリスタリウム同様、知識や情報は多い方がいい。今すぐ使わなくとも、後々使う時が来るかもしれないし、必要不必要の判断はトレイ自身ついているつもりだ。大規模な作戦の前にはブリーフィングが行われるが、それでも背景事情を知っているのと知らないのでは、作戦の理解の深さも違う。何事にも完璧にこなしたいトレイとしては、自ら情報収集することはなんら苦ではなかった。
「それで? 何か新しい情報はあったか」
「いえ……。最近は落ち着いているようですね。小さな依頼や任務ばかりで、大規模な作戦もありませんし。ふふ、身体が鈍りますか」
「そういうわけじゃない」
 キングは理論よりも実践を重要に考えるタイプだ。クリスタリウムで調べるよりも、闘技場で鍛錬する方を選ぶ。そういえばキングがこの部屋に来るなど、珍しい事もあるものだ。
「あなたは、どうしてここに?」
「依頼を受けていてな。その報告だ」
 そういえば、数日キングの姿を見ていなかったかもしれない。依頼のような小さな任務の場合は、候補生個別に連絡が来ることがある。座学を受けていても、任務があればそちらが優先になる。同じクラスにいてもすれ違うと言うことは、ままあることだった。
「成功したのですか」
「当然だ」
「それはそれは」
 キングがつまらないミスをするとは思わなかったが、結果を聞いて安心する。キングは中央テーブルをぐるりと回り、朱雀武官に話しかけた。何を話しているのかまでは、トレイの場所からは判らなかった。しばらくするとキングはトレイの傍に戻ってきた。
「なぁ、トレイ。これから朱雀はどうなると思う?」
「どうなるって。……ふむ、このまま順調に進めば、朱雀がオリエンスを統一する日も遠くはないでしょうね。だからといって争いが無くなるとも思えませんが、今よりかはいくらかましになるでしょう」
着々と朱雀の朱が広がっていく世界地図を見て、トレイは言った。世界地図は日々変化していた。0組が大きな作戦をこなしていけばいくほど、元の朱雀の領地よりも広がっているのではないかと思うほど、朱雀は優勢だった。口で言うほど簡単なものではないと思うが、事実0組が前線に投入されてから負け戦はなかった。先の戦である第一次ジュデッカ会戦、東の風の作戦、ビッグブリッジ攻防戦と順調に勝利を収め、これにより朱雀の領土は戦前の国土を完全に回復した。そればかりか劣勢を極めていた立場が逆転したのだ。ジュデッカ海峡でのアギト候補生部隊、とりわけ0組の活躍と、ビッグブリッジにおけるルシ・セツナによる秘匿大軍神アレキサンダーの召喚によって、朱雀がオリエンス統一まで最も近い国となった。しかし軍神バハムートや軍神オーディンが投入され、そのために朱雀軍の召喚連隊はいくつも全滅を記録した。召喚連隊だけではない、前線で戦った多くの兵士や候補生が死んでいった。0組の指揮隊長であったクラサメ・スサヤもその一人である。もっとも、すでに名前しか記憶には残っていなかったが。0組が参戦し最も苛烈を極めたビッグブリッジ攻防戦では朱雀軍約三十万人、白虎軍一八万人強の戦死者を出した。しかし0組は誰一人として欠けることがなかったためか、あるいはクリスタルの加護のためか、戦死者は単に数字の問題とされ、トレイはただ勝利とオリエンス統一の可能性だけを感じていた。
「朱雀は、いえオリエンスは戦乱の時代が長すぎて疲弊しきっています。ここに住まう人々全ての願いは戦争の終結です。朱雀の勝利でもなく、白虎の勝利でもなく、戦争の終結です」
「スズヒサ・ヒガトに出来ると思うか」
 キングは軍令部長、朱雀軍統括である男の名前を口にした。
「それは難しいでしょう。軍令部長だけでなく、カリヤ院長も口では穏やかな事を言っていても、秘匿大軍神を召喚することを許可しましたしね。契機があればオリエンスの統一を狙っていてもおかしくはない。彼も一国の王。野心はあるでしょう」
 事実、朱雀の安定のみを考えるならば、カリヤはここまでのことをせずともよかったはずだ。
「戦争を終結させることは簡単です。朱雀でも、白虎でもかまいません。暴動を起こし、国を混乱させ、国としての機能を停止させて、どんな条件でもいいので和平条約を結ばせることです」
「……お前、今までそんなこと考えていたのか」
「それは、ねぇ。朱雀という国に愛着は特に持ってはいませんが。それでも考えるくらいのことはしますよ。たとえ消耗品の駒でもね。辛い思いをするのはどの国も、いつの時代も、女と子供ですから」
アギト候補生としてあるまじき不穏な言葉を次々と口にするトレイを、キングは半ば呆れるように、まじまじと見つめた。
「スズヒサの代わりにお前が軍令部長になればいい」
「私が、ですか? あなたは彼が軍令部長であることに不満なのですか。確かに、私たちに対して彼の態度は厳しいですが」
「そうはいってない」
 不満も何も、自分達は0組だ。アギト候補生だ。それ以外の何者でもない。アギト候補生である限り、軍令部長の元で命令を受け、戦場に行くことは理解している。拒否権はない。
「スズヒサ・ヒガトは直情的で浅慮にも見えますが、それでも四十年近く現役で士官を務めてきたのです。戦場において知識も重要ですが、現場での経験が何よりものをいう場面も多分にあります。采配を振るうも一つの才能です。これでも私は彼を評価しているのですよ。優秀でなければ、八席議会の一員として彼が残ることは不可能でしょうから」
 トレイは何か考えるように、視線を世界地図の斜め上に向けた。
「そうですね……。私が魔導院を卒業して、武官になって、スズヒサ・ヒガトの直属の部下になって、彼に推薦され次の軍令部長に任命されるまで、あと何年かかると思います? 私が軍令部長になる可能性はゼロではありませんけれど、私が軍令部長になるのを待つ間に、戦争はとうに終わっていると思いたいですね」
「自分が軍令部長になれる可能性は否定しないんだな」
「私には才がありますからね、欲をいえば文官、学術局局長の方があっているかもしれません。ザイドウ・テキセは一筋縄ではいかないかもしれませんが、どうにかしてみせますよ」
 ふふ、と含み笑いをもらすトレイに、キングははぁ、と溜息をついた。
「お前な」
「まぁ、どちらにしろ。その頃まで無事生き残って、私の右腕としてあなたが働いてくれるならば、きっと何だって出来ますよ」
「俺が、か?」
「そうですよ。あなたと一緒なら、何だって出来ます」
 トレイは朱く染まりつつある世界地図を背にして、キングに微笑んだ。
 十年先、二十年先の事などわからない。次の戦いで生き残れるかどうかさえ、確信がないのだ。それでもこうして未来のことを話す事は、楽しかった。それがトレイとならば、なおさらだ。
「……そうだな、考えておこう」
 キングは目を細めて、フッと笑った。
 
 
* * *
 
 
 その日から、世界は一変した。
 フィニスが、訪れたのだ。
 空の月某日。ついに朱雀が白虎を降し、オリエンス統一を果たしたその翌日。世界はまるで血に濡れたかのように、見るものすべてが朱く染まった。空は朱く塗りつぶされ、海は黒く濁った。誰かからフィニスが来たらどうなるか教わったわけではないが、これがフィニスなのだと直感した。
これがフィニス以外、なんだというのだ。
 誰もが戦いの終結に喜んでいた。その矢先だ。文字通り束の間の平和だった。一体だれがこのような事態を予測していただろう。目の前に広がる光景は、朱に染まった死しかなかった。上空に万魔殿が現れ、地上にはルルサスの戦士と呼ばれる異形のモンスターが跋扈した。万魔殿も、ルルサスの戦士という存在も、まるで現実味がなかった。しかし次々に名の知らぬ候補生や朱雀兵の死体が魔導院の隅に山積みにされていくのを見ると、嫌でも認めざるを得ない。そもそも、それらはおとぎ話に出てくるものではなかったか。唯一アカシャの書を読む事が出来るクイーンによれば、ルルサスの戦士は世界に最後の審判、フィニスの刻を教える存在であるという。しかしそんなことがわかっても、何も対抗出来る術はなかった。
 魔導院にいたアギト候補生達は、世界の救世主となるべく教育され大事に育てられてきた。だがそれは建前だ。朱雀を支配する、あるいはペリシティリウム朱雀の従順な駒であるエリート養成機関である方がより真実に近い。
 今がフィニス到来の時。
 最もアギトの出現が望まれている時。
 しかし、一体どこにアギト候補生だからといって、あのような存在に敵う者がいるというのだろう。
 頼りとなるはずのカリヤ院長初め各局局長は姿を消し、魔導院は統率を失った。0組を庇護しここまで導いてきたアレシア・アルラシアでさえ、今生の別れだというように「最後は自分の意志で決めなさい」という言葉を残してどこかへ消えてしまった。
 今はまだ魔導院はルルサスの戦士によって襲撃を受けてはいないが、それもいつまで持つかなどわからない。時間の問題だ。魔導院に届けられた情報によれば、果敢にもルルサスの戦士に立ち向かった候補生や朱雀兵は全員死んだという。今まで戦ってきた相手とは桁はずれに強い敵。それが人なのか、モンスターなのかさえ、分からなかった。意志を持つ者なのかどうかさえも、わからなかった。ナギからの情報によれば、ルルサスの戦士の攻撃はファントマそのものを破壊するのだという。ファントマがなければ、どんなに回復魔法をかけたとしても、何ら効果はない。
 先の戦によって魔導院全体の人口が少なくなり、全盛期の四分の一程度しかいないにしても、魔導院は静かすぎた。外では言い表すことが出来ないほどの殺戮が行われているにもかかわらず、魔導院を包む静寂は得体の知れない恐怖を植え付けた。残っている兵士や候補生達も、まともではいられなかった。0組と見るや、覚えのない因縁をつけられ、暴力を受けそうになることもあった。もっとも、この現状でまともでいることが出来る方が異常なのかもしれなかった。
 情報も真偽が錯綜した。しかしそれを判断できるものはおらず、魔導院は混沌によって支配されていた。誰かが誘うわけでもなく、自然と0組の各メンバーはいつもの教室へと集まっていた。
 
 
* * *
 
 
 命令を下す者もいないが、だからといってむやみに動いて命を落とす様なことがあってはならない。0組に与えられた教室で、エースは思考を巡らせた。窓の外は相変わらず朱い空が広がっていた。そのせいで教室全体もまるでフィルターがかかったかのように、朱い光で満たされている。
 何故、どうしてこのような事態になったのか。聞いても誰も答えられるはずがなく、ただただ己の無力さに打ちひしがれ、震え戦くばかりだ。そういえば普段こういった問題に真っ先に飛びついて、クリスタリウムに籠るなり、自らの思惟に耽る男の姿が見えなかった。  
 どうして今まで気づかなかったのだろう。
「トレイがいないな」
 一番先に気付いたのは、エースだった。
 エースの言葉に、あぁそういえば、と0組の面々が顔を見合わせた。
「誰か、トレイを見なかったか」
「さぁね~、僕は見てないよ~?」
「クリスタリウムかなんかにいるんじゃねーの」
「あいつ、いつからいない?」
「いたらいたでうるさいけど、あのおしゃべり男がいないのも落ち着かないものだね」
 誰に聞いても答えは曖昧だった。全員教室に揃っているものと思ってばかりいたが、トレイだけが、いない。普段一緒にいることが多いシンクに聞いても、首を振り「見てない、知らない」と言うばかりだ。エースは窓際の定位置に座るキングの元に向かった。
「キング、トレイを知らないか」
 キングはよくトレイと教室で一緒にいるわけではないが、プライベートで共にいるのを何度か見たことがある。キングならば、何か知っていると思った。
「いや、見ていないな」
「そうか、ありがとう。非常事態だからな。……トレイに限って、まさかとは思うが」
「エース。俺たちはトレイのことを忘れてはいないだろう? それが証明だ」
「……そうだな」
 似合わず気弱な言葉を口にしてしまい、エースはキングに窘められた。
『クリスタルの加護』によって、オリエンスでは死者の記憶が消えてしまう。それは誰にも同様に起こる現象だった。トレイのことを覚えているということは、まだ生きているということだ。だがルルサスの戦士の進軍によって、いつ魔導院が戦場になるかわからない今、気を抜くことは出来なかった。
「なぁ、キング。トレイの事、探しに行かないか」
「探す? 探すって、どこを」
 覗きこむようにして、エースはキングを見つめた。キングは眉をひそめたまま、エースを見つめ返した。普段気丈なキングの顔には、疲労が色濃く浮かんでいた。
「魔導院の中だけでもさ。あいつ、また相手を逆撫でするような事言って、面倒事に巻き込まれているんじゃないかって」
 日常のトレイの姿を思う。今、そんなことを思うのは不適切だとも思ったが、何か考えていないと、行動していないと落ち着かない。それが伝わったのか、キングもあぁ……、と頷いた。
「トレイが心配なのか」
「まさか。その相手さ」
 仮にもトレイは0組である。ささいな喧嘩程度で負けるとは思っていない。トレイは力を持っている分、自制が利く男だ。しかし暴力を振るわないかわりに口で扱き下ろし、相手を言い負かしているかもしれない。0組のような家族同様の関係の者にならば優しいが、そうでなければ加減など知らず、相手が逃げだすまで徹底的に潰すことも辞さない。不条理な現実、言葉に対してまともな事を言い返して、逆に怒りを煽るような場面を何度も見てきた。そういったトレイの面を、エースもキングも知っている。
 確かに泣くのは相手だ。早々に引き剥がすのが最善の方法だろう。
「……わかった、いこう」
「助かる」
 何も対抗策もなく、教室に閉じこもっているだけでは気が滅入る。トレイも心配だったが、それ以上にどこかに行って身体を動かしていたかった。疲れてはいたが、とにかくここにはいたくなかった。
 エースはキングに礼を言うと、二人連れだってエントランスに向かう扉を抜けていった。
 
 
* * *
 
 
 教室を出て、クリスタリウム、軍令部第二作戦課、サロン、武装研などトレイが行きそうなところをしらみつぶしに回ってみたが、どこにもいなかった。今までならば大魔法陣によって直接目的の場所まで移動することが出来たが、魔法陣が機能しなくなった今は、階段を使って移動するしかない。普段使わない分、階段を上ることも一苦労だ。
「いないな……」
「あぁ」
 がらんとした魔導院の中を歩く。すれ違う者も、見知った者はいなかった。残る場所はテラスぐらいだろう。階段を上り回廊を抜けると、そこはテラスだ。回廊から窓の外を見ると、朱に塗りつぶされた空しか見えなかった。普段ならば、魔導院の候補生憩いの場所で、特に恋人同士が愛を語るのに使われていた。眼下には澄んだ青空と海が広がっているはずだった。あまり高い建物がない朱雀において、魔導院からの眺めは自慢するべきものだった。それも今はない。
「テラスに行ってみるか」
 いるとは思えなかったが、どこを探してもトレイはいないのだ。微かな期待をこめて、エースとキングはテラスに向けて、足を運んだ。
 
 
* * *
 
 
 魔導院と同じ石造りのアーチを潜ると、海に張り出す様な形でいくつかのテラスは作られていた。エースとキングが向かったテラスには、予想通りトレイはいなかった。が、隣のテラスに見なれた朱いマントがなびいているのを、エースの目の端はとらえた。
「トレイ!」
 エースは叫んだ。
 右手にある一段低い所にあるテラスに、探していたトレイはいた。だが様子がおかしい。声は届いているはずなのに、トレイはまったくエースの声が聞こえていないようだった。ただ、じっと斜め上の空を見つめていた。まるでそこに誰かがいるかのように。
「おいエース、見てみろ」
 キングに言われエースは遥か彼方、海がある方向を見つめた。ゆらり、ゆらりと巨大な人影が魔導院の方へ まっすぐと進んでくるのがわかった。海の上を歩いているのだろうか、いや浮いているのだろうか。数は四体。ルルサスの戦士だ。
 このままではトレイが危ない。こんなつまらない事でトレイを失うわけにはいかない。それよりもトレイは一体どうしたのだというのだ。どうして、反応しない。
「トレイ!」
 先ほどよりも大きな声で、今度はキングが叫んだ。だがトレイは相変わらず無反応だった。ルルサスの戦士の姿は段々と大きくなっているように思えた。魔導院に近づいているのだろう。
「まずいな。このままでは」
 ドンッ!
 キングが全てを言いきる前に、魔導院全体を揺るがすほどの衝撃が走った。
「なんだ!?」
「まさか!」
 あたりに焦げ臭いにおいが漂い始めた。襲撃か。
嫌な予感がした。エースはすぐさまポケットに入れておいたCOMMを取りだして、教室に残っているデュースに連絡を取ろうとした。
COMMの呼び出し音が続く。
予感が的中する前に。
 デュース。
 早く、出てくれ。
 COMMを握る手のひらがじとりと汗をかいた。ぷつ、つ、と断線しながらもCOMMが繋がった瞬間、エースは叫んでいた。
「デュース! 無事か!」
『……エー、スさん』
「いったい何があった?」
『エー……さ、んが教、……ら出、……と、……ルサスに襲、……さ……』
 断続的に聞こえるデュースの言葉から、大方の事態を把握した。ガリガリと立て続けに入る雑音が煩わしい。耳をつんざくほどの高音も混じる。
 予想は的中したのだ。おそらく、大陸側からもルルサスの戦士に攻め込まれたのだろう。0組の教室は一階だ。直接狙われでもしたのだろうか。しかし、これほどまでに何も抵抗できないままだというのはいささか信じられなかった。自分達は、0組だ。朱雀最強の戦士であり、最もアギトに近い存在ではなかったのか。
「デュース、君は無事なのか」
『戻っ……、……てください。エースさん、私は、も―――』
 バリバリバリバリッ!
「デュース!」
 そこで女の通信は途切れた。
 物言わなくなったCOMMを茫然とした様子でエースは見つめた。
 COMMの通信が切れたのだ。
 それは理解できる。
 だが直前まで誰と話していたのかがわからない。
 自分は誰と話をしていた?
 女だ。
 若い、まだ少女であろう女だ。
 それは覚えている。
 自分は0組の誰と話をしていた? 
 名前が、思い出せなかった。
 そういえば教室に残っていたはずの、0組の名前が誰一人思い出せなかった。
 デュース。
 それは、最後に聞いた自分の叫び声だ。
 その名の少女がCOMMの相手の名だったのかどうか、もはや確認する術はなかった。
「……キング」
「あぁ……」
 キングも、同じ焦燥感に駆られているのだろう。
 通常ならば、戦闘離脱したとしてもそれはイコール死ではない。だからたとえ戦闘離脱したとしても、倒れた0組の者の記憶を失う、ということはない。ファントマが存在する限り、アレシアの力によって0組は何度でも蘇生され、復活してきた。それが0組の特権だった。そう、普段ならば、たとえ死んだとしても死んだ相手の記憶を失う、ということはあり得なかったのだ。
 それが、今回は違う。
 教室に残っているはずの0組のことを誰も思い出せないのだ。それはクリスタルの加護の一つ、死の忘却の作用だった。死。それはファントマの消失を意味する。戦闘離脱ではなく、真実の意味での死。蘇生がきかない、正真正銘の、死。
 今エースが覚えているのは、キングと、トレイだけだ。おそらくキングも、覚えているのはエースとトレイだけなのだろう。どんな時も沈着冷静なキングの指先が微かに震えているのを、エースは見逃さなかった。
 生き残る術など、知らない。そんなものあるのかさえ分からない。あのルルサスの戦士という存在は、生きているものを見つけると無条件に攻撃するようだ。目的がわからない。攻撃が効かない事よりも、まず彼らの目的がわからないことが何より怖かった。
 エースは唇をかんだ。
 自然とエースとキングは目を合わせ、頷いた。何としてでも、トレイだけは助けなければ。
 海を見つめると、四体のルルサスの戦士は目前に迫っていた。この間合いでルルサスの持つ大剣が振り下ろされたならば、間違いなくトレイは、死ぬ。
「トレイーーーっ!」
 エースが叫ぶと同時に、天から無数の矢が降り注いだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
* * *
 
 
 天上から無数の矢が降り注ぐ。
それはエースとキングを避けることなく、無条件にテラスに降り注いだ。
「ふっ!」
「避けろ、エース!!」
 一歩先に回廊へと逃げ込んだキングに、エースは腕を掴まれ引きずり込まれた。
「はっ……はぁ、あ…は……っ」
 息が整わない。
 確かに、テラスにいたのはトレイだ。顔こそ見えなかったが、見間違えるはずがない。子供のころからずっと一緒にいる。普段だって、0組の中では一番共にいる時間が長いのではないだろか。あれは、確かに、トレイだった。だが、何かが違う。何処かがおかしい。だがその何かにも何処かにも答えになるようなものは、何もわからなかった。
得体の知れない違和感が、エースの全身を支配した。
「なぁ、キング……。あれは、本当に『トレイ』か」
「……わからん」
 真実トレイならば、たとえ広範囲に魔法や特殊攻撃を発動させても、味方まで巻き込む様なことは絶対にしない。だが先程の矢はエースとキングにも向かってきたのだ。攻撃は彼の得意技であるアローシャワーに似ていた。だが明らかに降り注ぐ矢の本数は多く、そして強力だった。
「……っ」
 ドン、ドンと魔導院の地響きは未だに止まらなかった。何処かで戦闘が始まっているのだろう。おそらく一方的な、殺戮が。
 建物の際からトレイのいるテラスをそっと覗く。目に映ったものは、血溜まりだ。石造りのテラスが赤黒い血液で濡れている。だがそれはトレイの血ではない。テラスには名前の知らない候補生と朱雀武官がうつ伏せに倒れていた。おそらく天から降って来た矢に射抜かれたのだろう。矢は魔法で実体化されていたのか、すでに死体には何も刺さっていなかった。
「!」
 ふいに、トレイと思しき人影が振り返る。彼は迷うことなくエースとキングを見上げていた。
「あ、な、何……?」
「この声、どこから……っ」
 魔導院全体を揺るがす振動の中、その声は突然、直接頭に響いた。
《―――9と9が9を迎えし時、識なる底、脈動せし》
「エース」
「僕にも聞こえている」
 膝をつき、震動が収まるのを待つ。それはとても長く感じられた。
《そして始まりの封が切れし時、雷の如き声音響かん》
「これは……『無名の書』の一節だ」
 何度も読み返して、暗唱できる。それが自慢だった。0組で読む事が出来るのは、エースと、トレイと、もう一人誰かがいた事を覚えている。
≪我ら、来たれり≫
「エース、見ろ」
「あ……」
 雷が鳴る。
《我ら、来たれり》
 キングに促され、エースはテラスを見た。
 見なれた人影。
 聞きなれた声音。
 そして、雷の音。
《我ら、来たれり》
 音もなく、どうやって移動したのかまるで気付かなかった。
 エースとキングの目の前に、彼は現れた。
 雷が断続的になり、目が眩む。耳もあまりよく聞こえない。
「―――我ら、来たれり」
 彼はエースとキングを見据えて、トレイの癖である手のひらを翻すしぐさをした。
 
 
* * *
 
 
「トレイ。トレイなのか」
 すぐにでも駆けだしそうになるエースをキングは力づくで抑え込んだ。
「エース! 早まるな、まだわからん」
「だって!」
 テラスの中央に佇むトレイと思しき男は、何か思案するように指先を唇に滑らせた。血溜まりの中を歩いていたにしては、彼の制服の白いパンツも靴もどこも汚れていなかった。汚れどころか髪も、マントの裾も、どこも乱れていなかった。何事にも整っていることを良しとする彼そのものだった。
 不思議な事にテラスの間近、彼の背後に立つルルサスの戦士は彼を攻撃する様子はまるでなかった。それどころか、彼を守るかのように大剣を構えていた。彼はルルサスの戦士を従えているかのように、そこに立っていた。
「トレイ!」
「私は、トレイという名前ではありません。私は審判者。ルルサスのルシたる存在。世界にフィニスの始まりを教え、地上の全てに審判を下すもの」
 審判者?
 ルルサスのルシ?
 何を言っているのか、まるで理解できなかった。
「神にでも、なったつもりか」
 エースを押さえつける手を弱めないまま、キングは口を開いた。
「言ったでしょう、私は審判者だと。私は審判を下す役割にしかすぎません。この世界の魂が、扉を開くアギトになりうるか、どうか」
 姿も、声も、物言いも、仕草も、全て記憶の中にあるトレイものと変わらない。トレイではない場所を探す方が難しかった。トレイだ。目の前にいる男は、トレイだ。
 候補生の服を着た普段と変わらぬ姿の彼は、ふむ、と値踏みするようにエースとキングを眺めた。
「ルルサスの戦士には、アギトではない者を処分するよう命令していたのですが……。今でもこうして無様に生き残っているのであれば、あなた達がアギト? ふ、まさかね」
 一定の間合いを保って、彼とエース、キングは対峙していた。だがいつまでこの均衡が保っていられるかなど、わからない。
「ご存知ですか。この魔導院で、生き残っているのはあなた達だけですよ」
 そういえば立て続けに響いていた破壊音も、候補生の叫び声も、魔法の破裂音も、何も聞こえなくなっていた。時折ちりちりとした火の粉が、テラスまで海風によって舞い上がった。
「さあ、どうしますか。諦めてここから逃げ出してルルサスの戦士に殺されるか、それとも私の手から最後の審判を受けるか。残された時間はそう多くありません。早々に決断なさい」
 くす、と笑って目の前の男はエースとキングの答えを待った。
 エースはキングに目配せし、指先に力を込めた。瞬間、手のひらの中にエースの武器であるカードが現れた。彼と戦う気なのだ。
「エース」
「……っ。僕が出る。やるしかないだろう。……僕がもしもの時は、キングに任せる」
 覚悟をした顔で、エースはカードを握りしめた。 
「エース、早まるな」
「キング!」
 エースは必死の形相でキングに向かって叫んだ。
「僕が止めなきゃ。僕達が、止めなきゃならないんだ。だって、僕はこんなにトレイのことを覚えている……っ!」
 それは、キングも同じだった。トレイが死んだなら、トレイの記憶は失われるはずだ。だが、未だにトレイの記憶は残ったままだ。それはすなわちトレイが生きている証拠だ。これほどまでに世界が荒廃したにもかかわらず、まだクリスタルにオリエンスは支配されているのかと驚く一方、この記憶の保持こそがトレイとの最後のつながりのようで感謝をする。しかしだからといって何もできない現状に、キングは歯がみした。何の、何の確信にもならない。
「トレイは操られているだけなんだ。あのルルサスのルシってやつに。だって、どう見てもあれはトレイだ」
「わかった」
 エースの言いたい事は、聞かずともわかる。
「トレイを、解放する」
「……行くぞ」
エースとキングは目を合わせてうなずくと、テラスに向かって飛び出した。
 
 
* * *
 
 
「愚かな」
 呆れた、とでもいうようにトレイに似た男は、向かってくる二人の候補生に向かってふんと鼻を鳴らした。
「審判者にアギトでもないお前たちが敵うとでも思っているのですか。死期を早めるだけですね。それとも殺されるのを待つのが嫌だとでも? そういうことなら、わかりますが」
 背後にいたルルサスの戦士が、審判者を守るように動いた。数は全部で四体だが、動いたのはそのうちの一体だけだ。男は一歩下がり、テラスに背中を預けた。彼は手を出さずに様子を見守るようだ。
「……まぁ、ルルサスの戦士にも敵うことはないでしょうが」
 エースとキングの動きを見ると、男は背後のルルサスの戦士に向かい、腕を振って指示を出した。
「ふむ。一人で十分でしょう。あなた達は、他にも生き残った者がいないか、見回って来なさい。扉を開くためには、一つでも多くのファントマが必要なのですから」
 三体のルルサスの戦士は魔導院から離れ、海上を渡った。しばらくすると三方向に分かれ、再び歩き出した。主の命令通り、生き残った人間を殺すために。
 男はルルサスの戦士を見送ると、テラスに向き直る。
「ではアギト候補生の力とやら。見せてもらいましょうか」
 瞬間、ギィン!と大きな金属音が響いた。
 ルルサスの戦士が大剣を振るったのだ。しかし狙ったところに標的はいなく、テラスの石壁に剣先がめり込んだだけだった。
「遅い!」
 ルルサスの戦士は巨大すぎて動きが緩慢だ。時折テレポを使うのか、不意打ちのように目の前に瞬間移動してくるが、そのタイミングさえ外せば勝機はあるかもしれない。
「はっ!」
 キングが引き金を引き、エースがカードを投げつけた。カードは狙い通りルルサスの戦士を切り裂いた。どっとテラスに向かって倒れ、ぶつかった箇所がガラガラと崩れた。
「ふっ……く、う」
「やったか」
石の床に膝を付き、のろのろと視線を上げると、先程倒したと思ったルルサスの戦士がおもむろに立ち上がっていた。
「なにっ!?」
 倒すだけの攻撃は与えているはずだ。
 にもかかわらず、ルルサスの戦士はエースとキングの目の前で復活して見せたのだ。
「な、なんだ……あれ……。どういうことだ」
「くっ」
「肉体は死んでも、魂が滅びない限り何でも復活する……。ふふ、誰かさん達と同じですね」
 異形の戦士はゆらりゆらりと揺れながら、確実にエースとキングから間合いを詰めていた。
 もう時間がない。
 たった一体も倒せないのか。
 俺たちはアギト候補生ではなかったのか。
 これほどまでに自分の無力さを感じた事など、一度もなかった。
 だが打ちひしがれている場合ではないのだ。
 何としてでもトレイを助ける。
「何をするつもりだ?」
「効くとも思えないが、一応やってみる」
 エースは歯を食いしばり立ちあがると、魔法の詠唱を始めた。
「―――サンダガ!」
 バリバリバリバリ!
 天から雷撃が降り注ぐ。目の前が閃光で目が眩む。だが薄く目を開けた瞬間、ルルサスの戦士の持つ剣先がエースの身体をかすった。
「うわっ」
「エース!」
「大丈夫だ。まだやれる」
 はぁっと深く息を吐き出して、エースは前を見据えた。
 どうすればいい。一体どうすれば……。
「ファントマだ」
「キング?」
「ファントマを抜きとればいい。あいつが言っていただろう。魂が滅びない限り何度でも復活すると。ならばファントマを抜くしかない」
「そんな。抜くっていったって」
 近づいて、痛手を負わせることだって難しいのだ。本当に出来るのだろうか。
「やるしかないだろう」
 キングの言葉に迷いはなかった。残された選択肢はそう多くはない。少しでも可能性があるならば試してみた方がいい。何も反撃できずにこのまま殺されるのも癪だった。ファントマを抜くことが出来なければ、本当に対抗する手立てがなくなってしまう。おそらくルルサスの戦士一人倒したところで、状況は何も変わらないのだ。いずれ、殺されて死ぬことには変わらない。それでも。
「キルサイトしかないぞ」
「わかってる。……行くぞっ!」
 ルルサスの戦士は気付いていないのか、エースとキングの姿を探してうろうろと亡霊のように歩いていた。
「こっちだ!」
 所詮エースとキングの武器はカードと銃だ。どんなに魔力によって強化してあるとはいえ、あの全身甲冑のような敵には敵わない。短いテレポを繰り出し、ルルサスの戦士の足元まで近寄ると、エースは叫んだ。
「僕が引きつける。キングがキルサイトを狙えっ!」
「ふんっ!」
 エースが言いきる前に、キングは標準を合わせ、キルサイトを決めた。すぐさまどす黒いファントマを抜くと、ルルサスの戦士はどうと倒れ、もう動くことはなかった。
「! やったか」
「当然だな」
 思った通り、ルルサスの戦士はファントマを抜くと倒れるようだ。そうとわかれば先程のルルサスの戦士たちが戻ってきても、どうにか勝機を呼ぶことが出来るだろう。
「キング、やっ」
 ドスッ。
 何かが身体に突き刺さる鈍い音がした。
 キングの顔を見上げたエースの笑顔が崩れる。見つめていたエースの瞳が、突然見開かれた。
「エー、ス…?」
 パチ、パチ、パチ。
「御名答」
 審判者と名乗った男が合図のように手を叩くと、ぐらり、と大きく揺れてエースはその場に倒れこんだ。
「あ……?」
「エース! エース!!」
「キン、グ……、……」
 何が起こったのかわからないというように、エースは縋りつくようにしてキングを見たが、キングにだってわからない。倒れる直前、寸でのところでエースを抱きとめた。エースの身体を支える腕が濡れていく。血だ。エースの、血だ。
「喋るな」
 エースの背中には、矢が刺さった後だろう、小さな血痕が残っていた。そこからじわりじわりと血が染みている。矢はすでに消えていた。無理に抜いたわけではないので傷口は小さい。だが狙いは完璧だ。寸部の狂いもない。この腕は、トレイ以外考えられなかった。
「……ン……っ」
 伸ばされた震えるエースの指先を、キングはぎゅっと握りしめた。
「……くっ」
 キングの見ている前で、腕の中にいる少年は事切れたようだった。共に戦った仲間だったのだろう。名前も知らなかったが、まだ温かいその小さな身体をキングは抱きしめた。
「……お前がやったのか」
「ええ。まさかあなた達がルルサスの戦士からファントマを抜くことに、気がつくとは思いませんでした。これでも褒めているのですよ。アギトでもない、ただの人間であるあなた達が気付くなんて。さすがはあの女の子供たち、といったところでしょうか」
 背を向けたままのキングに男は語りかけた。
「トレイから、トレイの身体から出ていけ」
「物分かりの悪い子どもは嫌いです。何度も言ったでしょう。私は審判者だと。それからこの身体は憑坐、ただの器にすぎません。私を排除したからといって、ここにあなたのいうトレイは戻ってはきませんよ」
 そっと少年の体を横たえさせると、胸の上で両手を組ませる。振り向き直り、キングは男を見据えた。
 朱いマントがばさりと風になびいた。
 トレイはいない。確かにそうなのだろう。だがキングはトレイのことを覚えていた。まだ朱雀のクリスタルが存在しているのならば、まだクリスタルの力が失われていないのであれば、それはトレイが生きているという証だ。
「そうですね。あなたはずいぶんこの身体の持ち主に執着があるようですから、教えてあげましょうか。彼が、あなたの言うトレイが審判者である私と融合することを望んだのですよ」
「馬鹿を言うな」
「信じる、信じないはあなたの勝手ですが、事実です。彼は私に身体を引き渡した。そして彼の魂、ファントマはすでに無限の螺旋の輪の中に合流したようですよ。ですから、ここにはもういません。あなたが彼に会う方法はただ一つ。あなたも無限の螺旋の輪の中に入ることです。もしかしたら、彼に再び会うことが出来るかもしれませんよ。次の巡りか、その次の巡りかは判りませんが。あなた達の縁が深ければ、ね。あなたが彼のことを覚えているのは、私の中に彼のファントマの残滓が残っているからかもしれませんね」
「……もう、黙れ」
 トレイの見目、トレイの声、トレイの口調。
 何もかもがトレイと一致する。だが、目の前にいる男は違う。
「貴様はトレイなんかじゃない。その顔で、その口で、その声でこれ以上喋るんじゃない。……覚悟するんだな」
「ルルサスの戦士を一人倒したところで粋がるな、小僧」
 審判者の手が光ると、そこにはトレイが愛用していた弓矢が現れた。何の躊躇もなく、男はキングに向けて弓を構えた。その姿は、キングが覚えているトレイそのものだ。闘技場で鍛錬をしていたトレイの姿と重なった。
 だが彼は、もうここにはいない。
 ここには、いないのだ。
「いいでしょう。では私自ら、あなたに審判を下しましょう。審判は―――不合格」
 ぱし、とキングの両手の先が光ると、そこには手に馴染んだ銃が握られていた。
 これを使うのも最後か。
 いずれ来るだろうとは思っていたが、それがトレイ相手になるとは予想外だったな。
 キングはいつもと変わらず、ふ、と唇の端に笑みを湛えながら安全装置を外し、男に向けて銃口を向けた。
 
 
 
* * *
 
 
 「……、……」
 世界が荒廃を、始めた。
 住むべき民も、動物もいない。海には魚が浮きあがり、魔導院自体もガラガラと音を立て崩れ始めていた。足元には候補生の制服を着た若い少年が二人、倒れていたが興味はなかった。すでにアギト候補生にも魔導院にも、存在する意味も意義も何も存在しなかった。
 審判者である男は、相変わらず誰もいなくなった魔導院のテラスで、じっと海を眺めていた。破壊の限りを尽くしていたルルサスの戦士も、立ち向かってくる愚かな候補生も、全て消えた。
 動く生物は、何一ついなかった。
 どうどうと風だけが吹いていた。
 全てが朱く染まった世界で、ある人物を彼はただじっと待っていた。
 
* * *
 
 
 コツ、コツ、コツ、コツ……。
「来ましたね」
 振り返ると、そこには量の多い髪を幅の広いヘアバンドで留めあげた女が立っていた。0組から『マザー』と呼ばれ慕われ、魔法局の局長として権威を振るった『ドクター』。彼女の名は、アレシア・アルラシア。魔導院の中で彼女を知らぬものはいなかった。だがすでに彼女を知っているものは誰もいない。
「神はサイコロを振らないと言いますが、あなたはずいぶん博打がお好きなようですね。アレシア・アルラシア」
「うるさい。あなたと無駄口を叩くつもりわないわ」
 男がクスと笑うと、アレシアはゆっくりと近づいてきた。
「それで? あなたの望む結末は得られましたか」
「見ればわかるでしょう」
 何も話すことはない、とでもいうようにアレシアの返事はそっけないものだった。その反応に肩をすくめる。
「いつまでも可能性に期待して繰り返すよりも、そろそろ現実を見た方がいいと思いますけれどね。実験者はロマンチストである方がいいと思いますが、あなたのそれは、いささかやりすぎでは?」
「あなたに言われることではないわね」
 世界がこれほどまでに壊れたにもかかわらず、彼女の子供たちがすべて倒れたにもかかわらず、彼女はなんら日常と変わらなかった。まるで当然とでもいうように、目に映るもの全てを受け入れていたようだった。
それよりも、彼女はもうすでに次の巡りについて考えているのだろう。
「そろそろ潮時ですかね。どうせあなたはまた繰り返すのでしょう? 私には関係のない事ですが、次の巡りではもう少し上手く回しなさい。運命の歯車を。それから、私にもう少しましな役割を頂けますか」
 そういうと男は自らアレシアに向けて首を垂れた。
「御忠告ありがとう」
 アレシアはそれが初めから決まっていたかのように男の首に手をかざし、男の肉体からファントマを抜き取った。ファントマを抜かれた男はその場に崩れ倒れた。
 動かなくなった男には目もくれず、アレシアは朱く染まった海を見つめた。
「今回も至らなかったわね。何がいけなかったのかしら。欲が強すぎるのも考えものね……」
 そしてアレシアはいつものように時を巻き戻した。
「今回の歴史はつつがなく幕を閉じる。次の刻が訪れるまで、お休みなさい……」
 
 
 
【終】
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2013/01/09 (Wed) FF零式 Comment(0)
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